月別アーカイブ: 2018年1月

現世利益

下のリンクは、「常に幸いにして」という有名なイコンのものなのだが、その写真の前に棒があって何かぶら下がっているのが見えるかもしれない。

http://www.ilioupoligiaolous.gr/article.php?id=15439

ひょっとしてこれらはいわゆる「願掛け」かもしれない。この形状が手や足の形をしたものの写真があったのです。マリアさん、お願いします、私の手をなおしてください、というわけですよね。 続きを読む

なかなか、外国のホームドラマをしげしげとみる、なんて機会は今までなかったと思う。

敢えて言えば、昔ヒアリングマラソンをやったときにカナダのラジオドラマというのがあった。それでもそれも勉強だからテキストと見比べてある週のコンテンツを聞いた程度だった。 続きを読む

「私は驚いた」

先日ニュースの字幕で

ΑΝEΣΤΑΛΗ

というのが出ていた。字幕の場合は全部大文字でアクセント記号もない。知らない単語だから見当をつけるときは語尾がΟΣなら男性名詞単数主格、Ηなら女性名詞数主格、ΕΙなら動詞の三人称で何かの時制みたいな、大方の見方がある。 続きを読む

「占い」という区分の不思議

去年からフェアみたいなところに自ら赴いてみて、いろいろな「占い師さん」のお姿を見た。

多くの人々が複数の技術、複数の切り口をもってやってきていた。それぞれの世界でエキスパートだということであれば、それでいいだろう。だがどうも自分は違和感を感じるところはある。 続きを読む